★「幸福の法則(在家の法)」第216号  <生命の真実2>
 あなたの心の糧となるよう大和武史が在家の法をお送りします。
 人類にとって一番必要なものは何でしょうか。自らの生存でしょうか。それとも自らの裕福な生活でしょうか。それとも…。こう問いかけてみると、それらの答えのどれもがもっともらしくはありますが、正解ではないと感じないでしょうか。自分の生存を確保することは大切なことですが、生きてさえいれば良いというものでもありません。中にはこんな生活なら死んだ方がましだという人さえ現実にいます。
 ならば、豊かな生活はどうでしょうか。確かに豊かであることは素晴らしいことであり、時間を節約してくれて、善い結果を与えてくれます。しかし、だからといって豊かでさえあれば良いというのでしょうか。生活が豊かであっても家族のものがすべて病院で入院していたり、瀕死であったり、あるいは家族が敵対して暴力が絶えないなどの状態であれば、貧しくても平和な家庭に憧れるのではないでしょうか。
 このように考えると生命というものが本質的に望んでいるものの本質が少し見えてきます。そして生命の真実に少し近づきます。生命には必要などないのです。絶対に必要なものなどないのが生命です。だからこそ自由が保障されているのです。絶対にしなければならないことがあれば、それをやらないという自由はないことになりますからね。完全な自由があるからこそ必要なものは何もないのです。これが真実です。
 では、どうして私たちはお金や地位や恋人の愛を求めているのでしょうか。何も必要なものなど無いのに、何故いつも何かを求めているのでしょう。それは、何かがないと幸福になれないと信じているからです。不足感があるのです。これはある意味では真実です。完全に現状に満足できる生命などありません。皆、自分の現状に不足感を感じます。しかし、これは諸刃の剣であり、良い意味では現状を打破して進歩発展へと進む原動力になりますが、悪くすると欲望に翻弄されて自分を見失う結果になり、堕落へと落ちる羽目になります。
 生命というものは耐えず進歩を目指して変化するものであるのです。それが本質なのです。それほどに能動的なものが生命の本質なのです。だから、迷いや葛藤もあります。それも一時的な現象として認められています。
<つづく:在家の法を大切な方に転送してあげましょう>