大和武史のblog

スピリチュアル作家の大和武史です。永遠の生命を前提とした宇宙時代の真理を投稿しています。2019年からは フェニックス・プロジェクト を立ち上げて人類救済及び地球アセンション計画のマネージャーを務めています。地球を愛の星に変えるために共感していただける方は参画をお願いします。 2020年コンテストにおいて、プロジェクト公認称号「地球の母を讃える者」「地球の父を讃える者」を授かりました。

2012年09月

★「幸福の法則(在家の法)」第223号

★「幸福の法則(在家の法)」第223号  <生命の真実9>
 あなたの心の糧となるよう大和武史が在家の法をお送りします。
 エネルギー保存則によりエネルギーは不減不滅であることが証明されています。しかし、このエネルギーなるものの正体は少しも分かってはいません。現在のエネルギーとは物理的に出てくる大きな力のことをいっており、エネルギーそのものの正体までは研究されてはいません。
 しかし、アインシュタイン博士が遺してくれた公式にE=mc2という有名な公式があります。これはエネルギーは質量と光速度の二乗に等しいというものです。この式により物質である三次元世界においてもエネルギーが存在することが分かります。その物体が持つ質量と光速度の二乗がエネルギー量であるのですから、結局は物質とはエネルギーが変化した姿に過ぎないのです。
 故にこの世の三次元世界とはエネルギーでできた世界であり、膨大な量のエネルギーが凝集されて造られた世界であるのです。すると、エネルギーと物質の境界は何でしょうか。それは、この公式に現れているところのmとE以外の要素、すなわちc(光速度)が大きく影響しているはずです。光速度とは何かというと結局は光の進む速度ですね。
 光というものは電磁波です。電磁波のある範囲の波長が光ですから、電磁波が物質とエネルギーを決めるのに大きな影響を与える要素であるわけなのです。これはどういうことか、具体的に考えると、電磁波というものを介して物質が形成されてくるのだと私は思います。電磁波ですから波の一種です。
 よって、ここに波の性質も表れてくるのです。この世の物質世界に無数に表現される波動の性質は、エネルギーが物質に変換されるときに波動を生じるからです。電磁波というものがエネルギーと物質を形成するための変換器のような役割を務めているようです。そして更に電磁波が生み出すものは磁気と電場です。
 結局、エネルギーは物質化する過程で、電磁波を介して、波動を生むと共に磁気や電場を生じているわけです。そしてこれらの力、性質により物質が形成されていき、原子や分子、粒子、化合物などが生じてきて物体ができてくるのです。それらの物体が元なるエネルギーの性質と中間で生じた波動や磁気や電場の影響を受けていることは想像に難くないと思います。物質世界とはこうした世界であるわけなのです。
<つづく:在家の法を大切な方に転送してあげましょう>

★「幸福の法則(在家の法)」第222号

★「幸福の法則(在家の法)」第222号  <生命の真実8>
 あなたの心の糧となるよう大和武史が在家の法をお送りします。
 生命の正体が肉体ではないことはじっくりと考えれば誰でも分かるでしょう。端的に言えば、アメーバーのような単細胞生物でさえ生命には違いないでしょう。彼ら、単細胞生物にはもちろん、心臓も脳もありません。なのに生きています。内臓の器官や臓器が動いていることが生きている証ではないわけです。人間の死を巡っての論争はいつ肉体が死んだかということであって、生命が消えたこととは違っています。間違えないで下さい。
 肉体の死と生命の死は同じではないのです。生命とは死ぬものかさえ分からない存在ですから。そして、時間というものは私たちは過去から未来に向かって一方通行で進んでいるものと思っています。過去は過ぎた時間であり二度と戻らないもので、未来とはまだ来ぬ時間で不確かなものだと信じています。
 でも、これも錯覚でしかありません。時間とは総体的なものであり、絶対的な存在ではありません。それはアインシュタイン博士の相対性理論が証明してくれたはずです。観測者の状況により時間の進み方は早くも遅くもなることを知っているはずです。すると、時間も変化するものであり、この世の総体的な概念を捨てたときにはどのように変わるか分からないものなのです。
 そして、四次元といわれる時間を内包した世界が存在します。存在に時間が併せ持たれるということが理解できないと思いますが、これはそれほど不思議なことではありません。私たち生命が四次元存在です。もしも、生命が三次元存在なら当然肉体と共に消滅しますが、四次元存在なら別です。
 四次元存在とは時間の束縛を超えられるということです。たとえば、過去を現在のように思い出すことや未来を想像することも三次元を超えた活動です。そして考える、思考もこの世ならざるものなのです。たとえば、将棋の名人は50手先を読むといいますが、そんな未来を予想することが三次元の肉体だけでできるはずがないでしょう。
 思考することそのものが四次元的な活動に他なりません。四次元存在である部分が生命には必ずあります。それが生命の正体であるからです。ならば、三次元の法則は適用されません。四次元の法則に従うはずです。四次元の法則とはエネルギーの法則です。エネルギー不滅の法則こそ生命の法則なのです。だから生命は永遠です。
<つづく:在家の法を大切な方に転送してあげましょう>

★「幸福の法則(在家の法)」第221号

★「幸福の法則(在家の法)」第221号  <生命の真実7>
 あなたの心の糧となるよう大和武史が在家の法をお送りします。
 さて、これから生命の真実についてもっと深く考察をしてみましょう。これまで述べてきたことから生命とは決して肉体のことではなく、エネルギーであるということが分かります。しかし、そのエネルギーというものが定義できません。現代の科学では定義どころか、測定すらできません。まるで盲目のような状態です。
 エネルギーは目に見えず、聞こえず、触れず、五感では感知できない存在です。だからこそ人類はその存在に気がつかずに生きてきました。そして間違った文明を築いてきました。これを180度転換するには生命というものがエネルギーであることを万民に信じて貰う必要があるといわざるを得ません。そのために生命をもっと深く考えてみることにしましょう。
 現象としての生命とは、アメーバーのように肉体の姿には関係なく、自ら動き出すものです。そして何らかの目的を持って動き出します。その目的とは結果として自らの幸福を求めるのも真実です。こうした現象(結果)の原因になるものこそ生命の本質でしょう。それは、たとえれば、磁石が対極に引き寄せられるように、あるいはプラスとマイナスが引き合うように定められた法則であるのではないでしょうか。
 生命というものがエネルギーと呼ぶものであるかどうかは現時点では証明できませんが、その性質はかなりの精度で伺えるはずです。この世に現れた物理的な法則を使って、それは語ることができるのではないでしょうか。生命というものが自由意志を持ち、自らの幸福を願って絶えず変化するものであることが十分に語られれば同様の結果が出るのではないでしょうか。
 そして忘れてはならないことが永遠の生命であることです。限りのない命、それがすべての認識を変えますから。これを証明することなどできませんが、逆にいえば、この世の常識、死ねば消える命という概念を完全に否定することで同様の結果がでます。生命とは肉体でないことぐらいは十分に語れるはずですし、この世の時間という概念が偏ったものであり、時間のない世界の存在を語れれば永遠もあり得ることが理解されるでしょう。こうした順序を経て、生命の本質は人々に理解されていくと思います。それはもう時間の問題です。
<つづく:在家の法を大切な方に転送してあげましょう>

★「幸福の法則(在家の法)」第220号

★「幸福の法則(在家の法)」第220号  <生命の真実6>
 あなたの心の糧となるよう大和武史が在家の法をお送りします。
 生命とは自由意志を持ち変化し続けるものであり、その求めるところは幸福です。すると、蓋然的には善い結果を出せる生き方をするしかないのです。現象として幸福な結果が現れてくるような生き方こそが生命が求めるものであり、試行錯誤を通じていつか辿り着くのもそこなのです。
 現在の人類は幸福を求めながらも結果として表れている現状は危機的なものです。それは試行錯誤の上で、講じている手段が自分にとっての利益であり、そのためには他人や環境などは二の次という考え方から来ています。野生の弱肉強食の姿が暗示しているものが人類の概念です。このエゴの想念は結果として幸福な現象を引き寄せはしません。逆に、争いと破壊と悲惨な結果を招いてしまっているのです。
 すべてが私たち人類の錯誤に寄るのです。幸福を招くために、取るべき手段が間違っていたのです。それを今、はっきりと認識しなければなりません。もしも、正しい効果的な手段に寄っていれば現れた結果は全然違ったものになっていたでしょう。すべては私たちの選択に原因があるのです。
 幸福な結果を現したいならば、そうした原因を造らなければなりません。エゴによる他人との敵対や周りとの不調和は闘争や破壊の原因でしかないのです。幸福な結果の原因とは何でしょうか。それは、平和や協調や愛の行いです。こうした人々を優しく、強く、生き生きとさせるものこそが幸福の原因なのです。なのに、何故、その正反対のものばかりを現しているのでしょうか。
 それは、自分というものが肉体というものの中にあると信じているからに他なりません。自分の肉体を守ることがもっとも重要なことであるならば、それは決して叶えられないことでしかないのです。肉体の命は有限ですから、その願いはいつか必ず裏切られるのです。しかし、生命というものが肉体のことではなく、エネルギーであると信じることができれば、結論は変わってきます。
 決して果てぬ生命であるならば、幸福を目指しての活動は結果的に幸福を招き寄せる原因へと人々を動かすはずです。それが自然の摂理なのですから。生命というもの、その本質を知ることから始まります。それができれば振り子が戻るように急激に幸福な社会へと変貌していくでしょう。
<つづく:在家の法を大切な方に転送してあげましょう>

★「幸福の法則(在家の法)」第219号

★「幸福の法則(在家の法)」第219号  <生命の真実5>
 あなたの心の糧となるよう大和武史が在家の法をお送りします。
 環境というものが自分の人生を演出するものだとすれば、今、私たちの舞台の背景はどす黒く、汚い演出になってしまっています。自分たちの欲得のために環境を汚し、破壊する姿は自分の人生を汚しているのと同じです。酷い演出の中では名演技はできません。やはり、素晴らしい演出であればこそ、名作は生まれてくるのではないでしょうか。
 環境とは、自分の外の世界であると人々は思っていることと思います。だから、自分のためには少々の犠牲にしても仕方がないものでしかないのです。優先順位はまず自分が一番であって、その次に周りのものだからです。そして他人もこの中に含まれます。だから、自己防衛は正しいという概念になります。自分の命こそこの世でもっとも尊いものであるのですから。
 しかし、この概念は間違っているのです。なぜなら、環境とは自分の周りの世界ではないからです。人々は環境は自分の外の世界だと思っていますが、実はそうではないのです。そもそも、内と外とはどういう概念でしょうか。それは何かを基準としてそのどちら側に存在するかという概念です。
 そして、この場合は自分という肉体を基準としてその内側か外側かという見方です。しかし、この見方が間違っているのです。それは自分という基準は肉体のことではないからです。自分というものは肉体の体と同義だという錯誤の上に成り立っている考え方なのです。真実は、自分という存在は肉体のことではなく、生命です。
 生命とは自由意志を持ち活動し続ける生命体(エネルギー)です。今まではこれを知らなかったのです。この定義により、再考すると、外界とは何を持って定義するべきでしょうか。それは生命というものが影響しない範囲を指すと考えられます。すると具体的にどこでしょう。生命とはオリジナルな生き方をする表現体であり、周りの環境はそれを演出する場であるならば、その影響しない範囲とはどこなのでしょう。これがあるとすれば、私たちの人知を越えた世界でしかないのではないでしょうか。
 すなわち、環境とは決して外界ではなく、共存する場なのです。内側の世界であるのです。生命が展開する場である世界は、生命と一体のものです。よって、自分の内側を汚したり、破壊したりすることは自殺行為に過ぎません。
<つづく:在家の法を大切な方に転送してあげましょう>
プロフィール

yamato_takesi

スピリチュアル作家の大和武史です。永遠の生命を前提とした真理のメルマガを投稿しています。2019年からは #フェニックス・プロジェクト を立ち上げて人類救済及び地球アセンション計画のマネージャーを務めています。地球を愛の星に変えるために共感していただける方は参画をお願いします。 #霊界世界の実証

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