大和武史のblog

スピリチュアル作家の大和武史です。永遠の生命を前提とした宇宙時代の真理を投稿しています。2019年からは フェニックス・プロジェクト を立ち上げて人類救済及び地球アセンション計画のマネージャーを務めています。地球を愛の星に変えるために共感していただける方は参画をお願いします。 2020年コンテストにおいて、プロジェクト公認称号「地球の母を讃える者」「地球の父を讃える者」を授かりました。

2012年08月

★「幸福の法則(在家の法)」第218号

★「幸福の法則(在家の法)」第218号  <生命の真実4>
 あなたの心の糧となるよう大和武史が在家の法をお送りします。
 自由意志を持ち、活動を続けるものが生命の姿ですが、その能動的な性質と表裏一体のものとして、変化するという性質があります。変化し続けるからこそ活動が継続されるのです。ある時点で止まってしまうことなく活動を継続していくためには変化を許容しなければならないからです。
 変化を拒むような性質のものであれば、自己満足の時点でもう進歩はなくなってしまいます。安定した生活を得た時点で停滞が始まります。安定するということは良いことであり、望ましいことではありますが、だからといってそれで完全に満足してしまうと、それ以上の進歩はあり得ないことになってしまうからです。
 常に進歩するからこそ幸福が継続するのではないでしょうか。たとえどんなに幸せな環境で生活していても、その環境で永遠に固定されてしまえば、いつか飽きが来て停滞を生み、幸福ではなくなってしまうのです。だから、生命自体の性質には絶えず変化を許容した性質を持ち、変化の中で幸福を探し続けることとなってしまうのです。まさに永遠の旅人ですね。
 どんなに素晴らしい環境であってもいつかは変化してしまうものにしか過ぎません。あらゆるもの(生命を含めて)は変化を前提として存在しています。永遠の姿などないのが真実であるのです。移りゆき、変わりゆく姿の中で自らの幸福を目指して手探りで生きていくものが生命の本来の姿であるのです。
 ならば、保存を望む心は意味がないものでしかありません。現状を頑なに守ろうとしてもそれは不可能なことなのですから。自己保存ということ、保身ということは永遠に叶えられないことでしかないのです。生命の本質と合致しないからです。変化を拒む気持ちは誰でも持っていると思います。今の環境が良ければ尚更ですし、変化の内容が分からなければ不安が増すのも無理はありません。
 しかし、そうした変化の中にこそ、生命の喜びもあるのです。どんな環境にあっても自らのオリジナルな性格で自分らしく生きていくことこそ、生命の本来の姿であるのですから。自分らしい生き方、オリジナルな人生、自らが気に入った生き方を演出するのに環境というものが存在しているのです。環境に染まるのではなく、環境を演出として利用するのが生命の姿なのですから。
<つづく:在家の法を大切な方に転送してあげましょう>

★「幸福の法則(在家の法)」第217号

★「幸福の法則(在家の法)」第217号  <生命の真実3>
 あなたの心の糧となるよう大和武史が在家の法をお送りします。
 生命というものは完全に自由で常に変化するものです。原始的な形態で説明すると、あのアメーバーの姿を想像して下さい。アメーバーは単細胞生物で内蔵もなく、手足もありませんが、自らの意志で絶えず自由に動いています。ちょっとたとえが悪いかも知れませんが、このアメーバーのような性質が生命の本質だと私は思うのです。
 誰もこのアメーバーを止めることはできません。活動を妨害することは可能ですが、自ら動くことを防ぐことはできません。アメーバーもじっとしていないで何を探しているのか知りませんが、すぐに動き始めますね。生命はいつまでもじっとしてはいられないのです。その本質はかなり能動的なものであるのです。自らの意識で動き回ることは自由意志で変化するという生命の本質が現象化した姿に他なりません。
 完全な自由とは自由でない状態を経験する自由をも含みます。わかりにくいかも知れませんが、不自由な経験をする自由もあるのです。この世のような世界は生命にとっては不自由な経験そのものでもあります。生きていく上では色々な制限が付きまといますし、周りの環境や他人によって色々な影響を被ります。否応なくしたいことを妨害されたり、逆にしたくないことをさせられたりすることもあります。
 こうした不自由を体験するという自由を味わっているのです。そしてその体験の中から何を得るかを試しているのです。不自由の中から本当の自由を、その素晴らしさを、そのあり方を学んでいるのです。自由とは生命とは切っても切れない双子のような性質のものです。生命は自由がないと生命ではないし、生命である限り、自由に生きるのを宿命としています。
 私たちが人生の中で様々な経験をして、そしてそれらは必ずしも楽しいものばかりでもなく、中には辛い、苦しい経験もしますが、そうした経験ですら、自由という生命の姿を反映するための契機の一つに過ぎないのです。自らがその経験に対してどのような意味を付け加えるか、そしてそれをどのように表現するか、言葉で、行動で、それを問われているのです。
 人生という経験そのものが生命の自由が発現する姿に他なりません。何とも味わい深いものですね。
<つづく:在家の法を大切な方に転送してあげましょう>

★「幸福の法則(在家の法)」第216号

★「幸福の法則(在家の法)」第216号  <生命の真実2>
 あなたの心の糧となるよう大和武史が在家の法をお送りします。
 人類にとって一番必要なものは何でしょうか。自らの生存でしょうか。それとも自らの裕福な生活でしょうか。それとも…。こう問いかけてみると、それらの答えのどれもがもっともらしくはありますが、正解ではないと感じないでしょうか。自分の生存を確保することは大切なことですが、生きてさえいれば良いというものでもありません。中にはこんな生活なら死んだ方がましだという人さえ現実にいます。
 ならば、豊かな生活はどうでしょうか。確かに豊かであることは素晴らしいことであり、時間を節約してくれて、善い結果を与えてくれます。しかし、だからといって豊かでさえあれば良いというのでしょうか。生活が豊かであっても家族のものがすべて病院で入院していたり、瀕死であったり、あるいは家族が敵対して暴力が絶えないなどの状態であれば、貧しくても平和な家庭に憧れるのではないでしょうか。
 このように考えると生命というものが本質的に望んでいるものの本質が少し見えてきます。そして生命の真実に少し近づきます。生命には必要などないのです。絶対に必要なものなどないのが生命です。だからこそ自由が保障されているのです。絶対にしなければならないことがあれば、それをやらないという自由はないことになりますからね。完全な自由があるからこそ必要なものは何もないのです。これが真実です。
 では、どうして私たちはお金や地位や恋人の愛を求めているのでしょうか。何も必要なものなど無いのに、何故いつも何かを求めているのでしょう。それは、何かがないと幸福になれないと信じているからです。不足感があるのです。これはある意味では真実です。完全に現状に満足できる生命などありません。皆、自分の現状に不足感を感じます。しかし、これは諸刃の剣であり、良い意味では現状を打破して進歩発展へと進む原動力になりますが、悪くすると欲望に翻弄されて自分を見失う結果になり、堕落へと落ちる羽目になります。
 生命というものは耐えず進歩を目指して変化するものであるのです。それが本質なのです。それほどに能動的なものが生命の本質なのです。だから、迷いや葛藤もあります。それも一時的な現象として認められています。
<つづく:在家の法を大切な方に転送してあげましょう>

★「幸福の法則(在家の法)」第215号

★「幸福の法則(在家の法)」第215号  <生命の真実1>
 あなたの心の糧となるよう大和武史が在家の法をお送りします。
 アセンションするための決め手が人類の集合意識が生命の真実を受け入れるかどうかにあるということです。今まで人類は闘争と破壊に生きてきました。それは集合意識が弱肉強食さながらに自分の生存を最優先するように生きてきたからです。自分以外のものは敵になり得る相手であり、自分の命を守ることが生きるために最も優先すべきことで、それ以外のことはその次以降の優先順位でしかないのです。
 もしも誰かが襲ってきたら自分の命を守るために相手を排除するために暴力やあらゆる手段を駆使しても何らおかしなことなどないわけです。弱さを見せればつけ込まれます。そして負けてしまうかも知れませんから、常に周りに気遣い自己の安泰を図らなければなりません。気疲れして当然ですし、本当に気が休まるときなどないはずです。
 しかし、私たちは自然と仲の良い友達を作れます。そしてこうした親友とは気兼ねなくものを言い合い、喧嘩もするでしょうが、打ち解けてお互いに楽しい気分を味わえます。単なる弱肉強食の世界ならこんなことはないはずです。ライオンなどの猛獣でさえ、家族とは仲良く戯れているでしょう。この姿は何を意味するのでしょうか。
 愛というものはどこにでも見え隠れしているのです。たとえ、弱肉強食の惨めな世界の中でも愛は実在します。愛というものは先天的なものであり、集合意識を超えた部分からにじみ出てくる光です。これを完全に遮ることなどできないのです。人間には皆、愛が存在します。この愛と人類の集合意識が現している闘争と破壊のどちらが優勢を占めるかが問われるのです。
 生命というものをもっと深く理解しないといけません。うわべだけでは生命は分からないのです。分からないからこそ現在の人類の醜い闘争と破壊の姿があり、それを反映した野生の弱肉強食の姿があり、自然界の異変があるのです。すべては原因と結果による結果であり、人類が大きな原因を造っているのです。
 ならば、逆に素晴らしい原因を造れば素晴らしい地球環境が結果として表れてくるはずです。素晴らしい原因を造るには人類の集合意識が生命というものがどれほど素晴らしいものであるかを確認することが必要なのです。
<つづく:在家の法を大切な方に転送してあげましょう>
プロフィール

yamato_takesi

スピリチュアル作家の大和武史です。永遠の生命を前提とした真理のメルマガを投稿しています。2019年からは #フェニックス・プロジェクト を立ち上げて人類救済及び地球アセンション計画のマネージャーを務めています。地球を愛の星に変えるために共感していただける方は参画をお願いします。 #霊界世界の実証

読者登録
LINE読者登録QRコード
最新コメント
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

  • ライブドアブログ