大和武史のblog

スピリチュアル作家の大和武史です。永遠の生命を前提とした宇宙時代の真理を投稿しています。2019年からは フェニックス・プロジェクト を立ち上げて人類救済及び地球アセンション計画のマネージャーを務めています。地球を愛の星に変えるために共感していただける方は参画をお願いします。 2020年コンテストにおいて、プロジェクト公認称号「地球の母を讃える者」「地球の父を讃える者」を授かりました。

2012年03月

★「幸福の法則(在家の法)」第197号

★「幸福の法則(在家の法)」第197号  <日本の将来を考える12>
 あなたの心の糧となるよう大和武史が在家の法をお送りします。
 現代では利他とは損な行為と思われているようです。ボランティアなどが良い例でしょう。ボランティア活動は自分の欲得のためでは成立しません。誰かのために無報酬で働くという精神がなければ成立しないのです。それ故に、一部の人達の活動になりますが、それでも東北大震災の時には沢山の人達が応援に駆けつけました。
 この意味ではまだまだ捨てたものではないと感じたのは私だけではないと思います。日本中の人達が被災者に対して哀れみを感じて、何とか復興して欲しいと願ったと思います。しかし、こうした災害がなければ、なかなかこういう活動自体ができないのも事実です。起きてからでは遅すぎます。大変な目に遭う前にそれを防ぎたいものですね。
 災害がどうこうという意味ではなくて、人々が不幸に陥る前に手を差し伸べてやることができればどれほど住みやすい社会になることでしょうか。青少年が非行やいじめを繰り返す前に暖かい思いやりをかけてやれれば…。あるいは、借金などでどうしようもなくなり犯罪に手を染める前に助けてやれれば、どれほど犯罪は少なくなることでしょう。
 起きてしまった犯罪や社会悪の犯人を罰するだけの刑罰では何も変わりません。犯罪などしたくてする人など限られています。ほとんどがやむにやまれずに、本人にはそれしか方法が無かったのです。それだけ追い込まれていたのでしょう。誰も助けてはくれなかったからです。
 こうした事柄が事前にあって、その結果としての犯罪や社会悪が増加していること自体が私たちが何もしていないことを裏付けているのです。すなわち、他人を利することができていない証拠です。皆、自分のことしか考えていないから他人のことに関心がないし、ましてや他人を助けることなど考えもしないわけです。
 利他が他人を助ける行為だとすれば、これは決して大衆をして率先的に取り組まれることにはなり得ないでしょう。ボランティア活動のように一部の人達がひっそりと行う行為にしか過ぎないでしょう。自分の利益になることを知らせなければなりません。利他こそが最高の利己であることを。
 意識の根底を変えなければなりません。利己という定義をです。本当に自分が幸福になるためにはどんな行為が必要なのかを教えるのです。
<つづく:在家の法を大切な方に転送してあげましょう>

★「幸福の法則(在家の法)」第196号

★「幸福の法則(在家の法)」第196号  <日本の将来を考える11>
 あなたの心の糧となるよう大和武史が在家の法をお送りします。
 利他とは他人を利するという意味ですが、他人がいわゆる自分以外の人間という定義で考えていては、これは完全に実行されることはないでしょう。人間は誰でも自分がかわいいですし、それはやむを得ないことです。生きるための本能的な感情もあります。子孫を残すために自らを守り、危害を加える相手を避けるという本能もあります。
 こうした状況で必ずしも利他が優先して取り組まねばならない必然性はないと言わざるを得ません。ですから、利他を本当の意味で定着させるには、利他が利己よりも優れていることを納得して貰う以外に方法がないのです。道徳としてやっている限りでは一部の人達にしか実行してもらえません。
 利他が利己よりも優れているという根拠を明確に示す必要があるのです。そのためには、生命という部分から認識を新たにして貰わないと無理でしょう。この少ない文字数のメルマガではとても無理だと思います。私自身も今、新しい本の執筆中です。本一冊の分量を要する部分だと思います。
 しかし、これは正しいことであること、そして人々にも十分に理解できることでもあることを断言します。簡単に言えば、生命とは死んで消えるようなものではないという認識が個人の中で成立すれば、生きるということが再定義されねばならなくなります。人生ということが、そして幸福という方法論が模索されるようになるでしょう。
 その時こそ、自らの幸福を実現するためにはいわゆる利己と呼ばれるような自分に直接利益を集めようとする行為は逆に不幸を呼び込み、利他という自分の利益とは関係ないように思える行為の中にこそ、自らを最も幸福にする結果が得られるのだということを理解して貰うことだといえるでしょう。
 そして、他人という存在が単なる自分以外の人間という消極的なものではなく、自分を幸せにするために必要なものであることを知ったときに、その人の人生観は逆転せざるを得なくなり、今までとは違ったものに変化せざるを得なくなります。そしてこの新しい生き方に努力する人々こそが世界を変えていく原動力となっていくのです。その数が満ちれば世界は必然的に変わるでしょう。生きるための根本が変化するからです。利他が最も御利益のある行為であるならば、それを求めての活動が人類に幸福をもたらすのは当たり前のことです。
<つづく:在家の法を大切な方に転送してあげましょう>

★「幸福の法則(在家の法)」第195号

★「幸福の法則(在家の法)」第195号  <日本の将来を考える10>
 あなたの心の糧となるよう大和武史が在家の法をお送りします。
 利他がなぜ自分にとって有益であるのか、それが分からない人が多いのです。いや、知っている人が少ないのです。だから、それが十分に理解されて、その考え方が広がっていけば自ずと変化が現れてきます。変化とは結局、人々の意識が変わることによってしかもたらされることはないのです。
 いくら、物理的に政治や体制を変革しても、それを受け止める大衆の心が何ら変化していなければ、またすぐに元に戻ってしまいます。具体的な例を挙げると、自民党が野党になり、民主党が与党になりましたが、一体どれほど社会が変わったことでしょうか。
 制度は色々と変えたことはあるでしょう。予算や人事など変化は大きかったでしょうが、その結果、国民の生活はどう変化したでしょう。大して変化はしていないのではないでしょうか。もちろん、大震災ということも同時に起きましたから、こちらの方は大きな変化を余儀なくされた人々は多かった事実は否めませんが、政治をいくら変えても、それを受けた国民の意識が変化しなければ何にもならないのです。
 逆にいえば、国民意識さえ変化させれば、政治などの体制は必然的に変わらざるを得ないのです。それは選挙結果というような平和的に現れる場合もありますし、革命や暴動、クーデターなどの暴力的な形で現れる場合もあります。現れ方はその時点のその場所における抑止力との均衡関係によって変化しますが、そしてそれが現実となるのに要する期間も変化しますが、いつか必ず変革として現実化してくるのです。
 ならば、変えることを目標にするよりも、国民意識を素晴らしい意識へと変化させることをこそ、目指すべきなのです。これに成功さえすれば必然的にそれに相応しい社会が時間の経過と共に現実化してきます。それが、自然の法則なのですから。
 この意味では、私たちが行っているような一見して遠回りで、役に立たないような地道な活動こそが、結果的に功を奏する活動でもあるのです。あきらめずに、忍耐強く、やり通すことです。必ず、それを知った人々が一人ずつ増えていくと信じて、その数がいつか満ちて、社会そのものが自動的に素晴らしいものに変化していくと信じて。
<つづく:在家の法を大切な方に転送してあげましょう>

★「幸福の法則(在家の法)」第194号

★「幸福の法則(在家の法)」第194号  <日本の将来を考える9>
 あなたの心の糧となるよう大和武史が在家の法をお送りします。
 国民の自由と調和、博愛。これは憲法の精神そのものでもあるでしょう。しかし、憲法は学校の授業としては活用はされてはいますが、国民の実生活にどれほど関わりがあるでしょうか。私たちの毎日の生活に憲法がどれほど影響しているでしょうか。
 すると、ほとんど関係がないと言われるのではないでしょうか。法律としては立派であるが、自分の生活とはあまり関係がないという人が大半でしょう。実生活には浸透していないということです。本当に浸透していれば、いじめや非行や社会悪や犯罪などはこれほどは起きないはずです。
 国民の意識に憲法の精神が浸透していないからこそ、こうした悪の行為がいつまでも減らないのです。刑罰によって規制することしか犯罪が減らないかというと決してそんなことはなく、逆に規制しても減らすことはできません。減らすには国民の意識が変化しないと何も変わらないからです。
 要するに、国民意識を変えるということに尽きるのです。現在の自分のことだけにしか関心がないという意識を変えることです。自由と調和と博愛の精神に。それができれば、国家として世界をリードできるだけの価値ある日本に変貌します。すべてが国民である私たち個人の意識の問題なのです。
 今の無関心、冷たい人間は何故、そうなったのでしょうか。それは個人主義が生み出したものです。自分さえ良ければ良いという考え方です。利己主義ですね。この病気に冒されているのです。病気は適切な治療を施すことにより治せます。治らないことは決してありません。
 この個人主義の病気を治すには、逆の意識である全体主義を意識することが良いのでしょうか。いいえ、自分のことよりも社会のことの方が大切という考え方は悪くすると独裁政治などの専政国家になり第二次大戦の悪夢を繰り返すことになりかねません。
 ですから、目指すべきは全体主義ではなく、あくまでも個人主義で結構ですが、その個人主義のために行う行為が自分の利益を守ることではなく、他への奉仕であることを意味づけることです。利他と言うことです。利他こそが本当の利己であることを理解して貰うことが必要なのです。そのために、私たちの活動もあるといえます。
<つづく:在家の法を大切な方に転送してあげましょう>

★「幸福の法則(在家の法)」第193号

★「幸福の法則(在家の法)」第193号  <日本の将来を考える8>
 あなたの心の糧となるよう大和武史が在家の法をお送りします。
 日本という国に生まれた私たちにできることをしっかりとやることです。外人にはできないことができる部分が必ずあります。単に経済や政治などの理由ではなく、国土や言語、慣習なども含んだ意味での日本人としてのオリジナリティーが世界へ発信されていくべきです。その前には日本を自慢できるものにする必要があります。
 自慢できる国、日本になれば世界へ情報発信しても何ら恥ずかしいこともなく、むしろ誇らしい気分でしょう。そのためには理念が必要です。単にGNPがどれだけだからとか、経済成長率がどうだとか、そんなことはどうでも良いことなのです。それは現在の状況を数字で表しているだけのことで、それ自体には特別な意味はありません。価値中立な事柄です。
 ならば、誰にでもそれ自体を誇れるようなものを見いだせば良いではないですか。経済や政治などが、どんな状況であっても、そんなことには関係なく価値のあるものこそ高邁な理念ではないでしょうか。そうした高度な理念の元に運営されている国家であれば、それ自体により尊敬に値すると思います。
 では、高邁な理念とは何でしょう。憲法でしょうか。確かに憲法は意味のあるものではありますが、現代社会とは少し乖離が大きいといわざるを得ません。また、最も大事なことに触れられてはいません。最も大事なこととは、国民のモットーであり、生きる目的であり、信条でもあるものです。日本という国が何を目指していくのかという具体的な方向です。
 それは単なる美辞麗句ではなく、国民の真意に裏付けされた熱意でなくてはなりません。その国民の熱意が素晴らしいものである場合には、諸外国から賞賛の声が聞かれるでしょうし、世界をリードする立場へも押し上げられていくでしょう。それが理念です。
 この理念を形成することを目的にした活動を起こす必要があると思います。そうでないと日本は世界においてはいつまでも大した価値のない、関心のない国にしか過ぎないでしょう。理念を形成する、そのために、どうすれば良いのでしょうか。まずは核となるものをしっかりと確立することです。それは、国民の自由と調和、博愛です。
<つづく:在家の法を大切な方に転送してあげましょう>
プロフィール

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スピリチュアル作家の大和武史です。永遠の生命を前提とした真理のメルマガを投稿しています。2019年からは #フェニックス・プロジェクト を立ち上げて人類救済及び地球アセンション計画のマネージャーを務めています。地球を愛の星に変えるために共感していただける方は参画をお願いします。 #霊界世界の実証

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